2009-05-20

天下ってきたジィちゃん(2006/11/04)

某私鉄の駅の売店で働いたことがある。
都市の大きな駅だった。

冬の駅の売店はとてつもなく寒かったし、夏はクーラーが壊れていて、まるでサウナだった。
一緒に働いていたのは、国鉄時代は駅長もやったという、天下ってきたジィちゃん。
「わしは戦争行ったぞ~。」

ジィちゃんに戦争の話や共産党の話をふると、やたら話が盛り上がった。
ヒマな時は大方この話題で退屈しないようにしていた。
ある寒い冬の日、私はレッグウォーマーをして店番をしていた。
私のレッグウォーマーを見たジィちゃんは、
「その、足にしとるやつは何や?」
私は、
「レッグウォーマーですよ。寒をしのぐんですよ。」
「ゲートルみたいなもんやな。」
「ゲートルって、あの足に巻く包帯みたいなヤツ?」
「おお!その年齢でよう知っとるなぁ・・・」
という具合に。

ジィちゃんが私に休憩を勧める時は、
「先生、ちょっと休んできたらどないや?」
私は、
「上官、私はまだ大丈夫であります。」
すると呼び名は白熱してくる。
 ジィちゃんは、
「あんたがワシの上官でっせ、軍曹。」
「何を仰いますやら、中尉殿。」
「ちょっと多めに休んどき、少佐。」
「ええんですか?大佐。」
…大将、元帥、首相、天皇、果ては上皇、神様まで行き着いた。
「しかしよう知っとるなぁ・・・。」
と、ジィちゃんも感心していたが、私も自分で何故知っているのだろう?と不思議に思った。

私が退職する時、ジィちゃんは私に「餞別や、もろとけ」と言って、のし袋をくれた。
若い人でこういうことをする人はあまりいない。
昔の人だから、こういうことにはとても律儀だということもあるけれど、気遣いが嬉しくて心の温まる思いがした。

ジィちゃんは熱烈な阪神ファンで、新聞を店先に出す時は「デイリースポーツ」を前の方に出し、「報知新聞」や巨人の勝利が一面の新聞などは早々と引きあげた。
若い私は信じられない差別行為を目にした、と思ったが、黙っていた。

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2009-05-31

“馬”の店(2006/11/05)

ある土曜日、駅の売店の会社の偉い人が慌てるようにやって来て、私に言った。
「M駅の売店に、今日と明日、助っ人に行ってくれんか?今日入るはずやった者が病気で倒れてしもたんや!」
何も知らない私は二つ返事で快諾したが、一部始終を見ていたジィちゃんが、
「M駅か。“馬の店”やな。最前線や。」
と言った。
私はジィちゃんに店を任せてM駅に向かおうとすると、ジィちゃんは手を振りながら、
「死ぬなよ~。」
と言った。
ジィちゃんの言葉の意味を、私は後で知ることになる。

M駅の西口を出ると、JRA(日本中央競馬会)の大きなビルがある。
丁度、正午にM駅に到着した私は、M駅の売店を仕切っているA女史に、
「お昼は食べた?食べてなかったら、今食べてきて!しっかり食べてね!1時に戻ってきて!」
と言われた。
昼食を摂って店に戻ると、A女史から「戦略」を聴かされた。
「…(競馬)出走前とレース終了後がヤマ場。今から3時まで、「大スポ」と競馬新聞類がよく出るから、品切れさせないように。3時になったら、ぴったり客足が止むから。その後4時頃からまた大勢お客さんが来るからね。その時はビールとワンカップと缶コーヒーを切らさない。…」
A女史の気合の入り方から、これはタダゴトでは無い、と察知した。
午後2時前、ちらほらと客が増え始める。
ああ、これは言われたとおり、なかなか忙しい店だ、と思った。
更にその思いをはるかに上回る、午後2時過ぎ。

私のいる売店の真正面に改札があり、更にその奥に、まるでタカラヅカのレビューの時に使う階段のように、ホームへとつながる階段が見える。
昼の2時を回ったある瞬間から、その階段は異様なレビューのように見える。
役者は絢爛に着飾ったタカラジェンヌとは真逆だが、普段着の中高年のオジさん達。
ジャンパー姿、ハンティング帽、地味なのか派手なのかわからないシャツ、渋い面構え、くたびれた革靴、若しくはくたびれたスニーカー、ポケットに手を突っ込み、或いは禁煙の構内であるにも関わらずくわえタバコで…。
もの凄い人数のオジさんたちが、もの凄い勢いで改札をくぐりぬけ、もの凄い勢いで私達のいる売店に、途切れること無く押し寄せてくる。

ブック、エイト、大スポ、ブック、研究、タバコ、コーヒー、ブック、大スポ、フジ、タバコ、ブック、エイト…

売れる商品はほぼ同じ。
つり銭を間違えないよう、最初は頭を使っていたが、次第に体が勝手に動くようになり、指先の感覚だけでつり銭を渡せるようになる。
競馬新聞を何度も補充し、缶コーヒーも何度も温めた。
これだけの人数が狭い店舗を取り囲んでいると、スキを見てリフター(万引き)にも気をつけなければならない。
全く気を抜けない。
時間の感覚が全く無くなり、無我の境地に至る頃、客足がぴったりと止んだ。

「もうじき出走だわ。今のうちに缶ビールと缶コーヒーを補充しておいて。あ、ワンカップも。」
と、A女史。

やってきた夕刊と、翌日のレースの競馬新聞を補充し、一息ついたのも束の間。
「もうそろそろ来るよ。」
A女史の言葉どおり、午後4時前、オジさん達が悲喜こもごもの足取りで戻ってきた。

ビール、ビール、チューハイ、ビール、ビール、ワンカップ、ビール、ビール、缶コーヒー、ビール、ワンカップ…

この人波は、いつまで経っても途切れることが無かった。
つり銭を渡すと、オジさんが大きな声で、
「あ~、負けた負けた~。次は明日や~。頑張るで~!」
「勝ったヤツがこんなとこで呑むかいな!皆で呑みに繰り出しよるわ!!!」
ある人は、買った缶ビールで乾杯をし、ある人は物言わず黙ったままグビグビとビールを飲み干す。

夕方を過ぎ、宵の口という頃になって、ようやく駅構内はシンと静まり返る。
柱にもたれかかり、いつまでもクダを巻いているオジさんもいる。
営業妨害なので、駅員に告げ口して、このオジさんを退かしてもらう。

ようやく閉店の時間になり、A女史は私に言った。
「今日はありがとう。お疲れ様。明日も頑張ってね。明日は私休みだけど、他の人が来るから…。」
…!
そうだ。翌日、日曜日のレースもあるのだ…。

意気消沈したように私も帰路についた。
いいや、私は助っ人でこの店に来ただけだし、明日さえ乗り切れば、と。
勿論、翌日も同じ光景が繰り返され、私は散々くたびれ果てたものだ。
二度とこの“馬の店”には行きたくない!と思ったが、その後私はしばしば、土日のM駅にかり出された。

この経験のお陰で、私はその後、幾分修羅場に強い人間になったし、ポケットに入った小銭を、指の感覚だけで計算できる能力が備わった。
紙に計算式などが書いてあっても、その回答を出すのは遅いが、ホンモノのゼニを掴ませたら私は早い。

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2009-06-08

党生活者?(2006/11/16)

普段、駅のホームでアナウンスをしている駅員さんが売店に来て、ジィちゃんに向かって、
「先生!」
と言った。
ジィちゃんは「おぅ」と、偉そうに言った。
駅員さんは、いつも低姿勢で面白い人だが、ジィちゃんの前では、一層低姿勢だった。
そして、駅員さんは拳を固めて、何やら熱く、ジィちゃんに訴え始めた。
ジィちゃんは、偉そうに、頷いてその話を聞いていた。

…この人らは、何をしとるんだろう?

ふと、私の存在に気づいた駅員さんは、私に何やらビラを差し出して、組合や共産党の話をしはじめた。そして駅員さんは、ジィちゃんが自分の師匠であると熱弁を振るい、それを見ていたジィちゃんは、
「おい、こんな若い子に、そんな話やめとけ。」
と、駅員さんをいさめた。
よほどジィちゃんの言葉は、この駅員さんに効くらしい。
駅員さんは、静かに敬礼して、その場を離れた。
私はジィちゃんを、そんなに偉い人として扱ったことは無かった。

私はジィちゃんに、
「ジィちゃん、共産党なん?」
と訊くと、ジィちゃんは、険しい顔で「そうだ」静かに言った。
「なんで?なんで?」と、興味本位で私が尋ねると、ジィちゃんは、普段のジィちゃんに戻って、答えた。

「だって、戦争ムリヤリ行かされたん、あんなんワシもう嫌やってんもん。」

…恐らく、ジィちゃんにとっては、話せば尽きない話なのだろう。
それでもジィちゃんはどうやら、“何も知らない世代”の私を気遣ってか、いつも軽やかで明快な答えだけを言った。

ジィちゃんを「先生」と呼んだ駅員さんとは、よく、ホームの売店で出会った。
ジィちゃんと私が普段いる売店は、改札口の前にあったが、私はよく、ホームの売店の手伝いに借り出された。
駅のホームでその駅員さんは、アナウンスと、「右よし、左よし、発車オーライ」をやっていた。
電車を送り出して、乗客がいなくなった後、駅員さんは、しょっちゅう私のいる売店に来て、
「どう、元気?」
などと、気さくに話掛けてくれた。
何気にゴルフの素振りのポーズをして見せる駅員さんに、
「ゴルフされるんですか?」
と尋ねると、「いいや」と言う。

「こういうのしている人、よくいるよね。」
と、ゴルフをしている人の真似だそうだ。

そんな他愛ないやりとりをしつつも、電車が入ってくる時間ぴったりに、急に声が変わるのが、“仕事人”を感じさせた。

…ぇ間もなくぅ、3番線、特急列車が、ぁ通過いたしますぅ。…
…危険ですので、ぇ白線の、ぉ内側にお下がり下さい、ぃ。…

ある日のこと。
いつものように、駅員さんは私を見かけて、売店までやって来て、
「元気でね。」
と言った。

「今日で、さよならだ。」

何でも、翌日からは数駅下った駅に異動するのだとか。

先ごろ、この駅員さんは上の人の噛み付いたそうだ。
先日、ジィちゃんのところに駅員さんが訪ねて来た理由は、どうやら「今から、上の人に噛み付く」ことの相談だったらしい。

「要は左遷だよ。悲しいねぇ。」

と言って、ふいに背を向けた、駅員さんは、

…4番線、ぇ普通列車、到着致します、ぅ。…

そして、ちょっと目が合った瞬間に、私は軽く敬礼しておいた。
「お元気で」の言葉代わりに。
駅員さんも、軽く敬礼を返してくれた。

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