2006-05-23

超老伝

大正3年生まれのジさまと、確定申告の会場で話し込んだ。
話の内容は主に、ジさまの健康法。
御歳91のそのジさまは、20歳は若く見える。
そして、「見てくれ、コレ!」と言って、ポケットから取り出したのはボーダフォン。
「新しいのを買ったん」だそうな。孫たちとメールのやりとりを楽しんでいるらしい。
「気が若くないとダメだ!」と、ジさまは言う。

ジさまは朝起きて顔を洗ったら、北の方に向かって大きく深呼吸をして、そして「ん~っ!」と拳を握って、身体に力を込める。
その後、仏壇に線香を供えて手を合せる。
この「ん~っ!」と、深く吸い込む香の香りが、自分の若さと長寿と健康の秘訣ではないか…、と。

そして、何でも「自分でできることは自分でやらなければダメ」だとも。
だから女房に大事にされ過ぎている亭主は、老いぼれて早く死ぬ。
ジさまは飯炊きから、65歳のやもめ暮らしの息子の世話までやってしまうらしい。

この健康法は、言っている相手が相手だけに、非常に説得力がある。
「大変よいお話を聴かせていただきました。」
と私が深々と頭を下げると、
「今度、オレの家に遊びに来いよ。」
と、58歳もの歳の差を越えてナンパされた。
…ジィちゃん、それはセクハラです。

(2006-3-2)

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聖フランチェスコ和尚

職場で、「研修がある」と言われて、大会議室に集められた。
何をするのかと思ったら、近所の寺の和尚の講演会だった。
「涙が出るようなありがたい説法が聞きたい(笑)。」
と軽口を叩いていたが、やって来た和尚は、開口一番、
「今日はホントは、人前で話せるような状態ではないんです。」

…なんのこっちゃ。

この和尚の寺は、有名な霊場の札所。しかし、10年ほど前に火事で、大事なお寺の大部分を焼失してしまった。
僧侶が寺を焼いてしまうという失態。和尚は本当に死んでしまいたかったらしい。
しかし、和尚が死んだからって、寺は元には戻らない。
この10年は寺の再建のため、和尚は正に「針のムシロ」のような辛い苦しい歳月を重ねる。
全国行脚で托鉢をし、そこで塩を撒かれたことも、嫌がらせの電話を受けたことも、罵倒されたことも数知れず。
そしてインドまで出向いて、インド政府に何年もかけて頼み込んで、輸出禁止の白檀の木をようやく譲り受け、譲り受けたこの白檀で、本尊の観音様を再生。

ようやく寺が再建できる、そんな矢先。

和尚が辛いのは、寺門の両脇の仁王像の再建ができて、仁王の片方の形が出来上がっているのに、この仁王の再建のためにお布施をしてくれると約束された方が、急逝。
この講演の日の朝に、
「仁王像のお布施はできない。」
と、遺族の方から電話が入ったそうだ。和尚の狼狽は、それはただごとでは無かっただろう。

事情は分かった。
しかし、こんな辛い心理状態の和尚に講演をさせるのは、逆にかわいそうじゃない?と、私は苦笑い。

仏門の者とは、煩悩と執着から解き放たれるために修行するのだと思ったが、出家した坊さんだからといって、そうそう「憂き世」の苦しみからは逃れられない。この人間臭い和尚を見て、私はつくづくそう思った。
しかし、「針のムシロ」を今尚生きる和尚に、石を拾ってきて、それを積み上げて教会を作った“聖フランチェスコ”の姿がダブるのは、私だけだろうか?
…私だけだろうな。

(2006-1-18)

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2006-05-24

自分でやる!

総合病院の受付で、「首のリンパ腺が…」と言うと、耳鼻咽喉科に回されて、鼻腔に小型カメラを入れて検査された。
特に異常は無いという検査結果だったが、その後の私の鼻腔内が異常だ。 異物感が消えず、くしゃみと鼻水が止まらない。
医療ミス?カメラを入れたついでに、鼻腔内に何か置き忘れていないか?
その件については月曜日、血液検査の結果と共に医師に訊かねば判らない。
とりあえず「重病ではない」という診断を訊くことに、この度医者にかかった目的がある。
熱や腫れや痛みは、ショウガや梅干などで、自分で勝手に養生して治るのを待つのである。
自分で勝手に自分の病気を治してみるのは、私の悦びである。

最近は大きな医療ミスのニュースがマスコミを賑わすが、あれもどうせ氷山の一角に過ぎぬのだろう。表面化するだけまだマシと言えるかもしれない。
いや、所詮医者にかかる時点で、患者は「まな板の上の鯉」なのだ。かかる医者に命を預ける覚悟でなければならない。その覚悟が無いなら、医者にかかるべきではない。
生まれてきた以上は“地べたで野垂れ死に”の覚悟で、病気は基本「自分で治す」。誰かに頼って治る病気などは無い。
そう思っていれば、ヤブ医者でも当然と思えるし、善い医者ならば感謝できるし。
まぁ、人格を無視した不正を行う医者は、この例から除外するとして。

医者でも国でも親でも子でも、あまり人に「やってもらって当然」という甘えた気持ちが強いと、頼られた人が期待に応えないと、その人のせいにして責めることになる。
「やってもらって当然」というのは、鼻持ちなら無い根性だ。
そういう根性があまりに強いと、結局は人間として自立できていないことになるし、「やってもらって当然」なのだから、まず「心から感謝する」ことができない。とすると、その人自身をも幸せにしない。

思うに「ありがとう」の気持ちは、他人も自分をも幸せにする、人類の至福の源流だろう。

「自分のことは自分でする」ことを基本姿勢で日々を送っていれば、ふつう、自分でするべきことを誰かがやってくれた時、「お!ありがとう」と、自然に相手に対する感謝の気持ちも沸き起ころう。

先日、お会いした91歳のジさまが言った言葉の真髄は、こういったことだったのだろうか…、と思ったり。
(2006-3-24)

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2006-05-26

願わくは花の下にて

「女房に大事にされ過ぎている亭主は、老いぼれて早く死ぬ」と、91歳のジさまは言った。
しかし、「女房に大事にされ過ぎ」ていることが必ずしも悪いことかどうか。
女房が亭主を大事にする理由は、亭主が女房を大事にしたから、ということもある。

  願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃

今朝のMBS『ありがとう浜村淳です』で、西行が呼んだこの歌が登場した。
それを聴いて、ふと私はあることを思い出した。

それは私が病院で看護助手をしていた頃。
重い病で入退院を繰り返しているご主人と、それを献身的に介護する奥様がおられた。
この奥様のご主人に対する尽くしようは、まるで観音様を見ているようであった。
痒いところまで、とことん手の届く奥様の尽くしように、医師とナースの間からは「甘やかし過ぎ」という声も囁かれたほど。
しかし、このご夫婦から、いつも心からの「ありがとう」という言葉を頂戴していた私個人は、ご夫婦に対して畏敬の念を抱いていた。
奥様を見ていると、実はご主人も本当にお優しい方なのだということが一目で判るのだ。

それがちょうど、満開の桜が咲き誇る、ある春の日の朝。
ナースの連絡版に、ご主人の退院の印がついていた。
それを確認し、私はいつものように、
「おはようございます。今日退院されるんですね。」
という言葉を用意してご主人の病室に行くと、すっきりと片付いた病室で見たのは、白い布で顔を覆われたご主人のご遺体だった。
一瞬、私は何のことかわからなかったが、そういえば、ナースステーションがにわかに騒がしかったのを思い出した。
退院の印は「死亡退院」だったのだ。

傍らの奥様は、思いのほか気丈で、
「本当にこれまでお世話になりました。」
と、私に向かって深々と頭を下げられた。
「今朝のね、4時ごろ、亡くなったの。ホント、眠るみたいに。」

ご夫婦とはもちろんアカの他人の私だが、普段から優しくしていただいており、この時は何ともいえない様々な思いが去来した。

『花の下にて春死なん』。
実際は、西行の歌は2月の桃の花を歌ったのだが。…
桜の花がいちばん綺麗な頃、ご主人の命日は巡り、あの奥様はきっと、亡きご主人の魂と戯れるのだろう。
…それは私の妄想なのかもしれないが、しかし、あのご夫婦のおられた情景をふと思い出すと、私の目頭までも熱くなることがある。

(2006-3-3)

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2006-05-27

昭和の純愛

今の時代では考えられないような「純愛」が、昭和にはあった。

警備員のバイトをしていた頃。
通行止めの看板の前で立っていると、
「お仕事、ご苦労様です。」
と、散歩中の見知らぬカワイいおばあちゃん。
このおばあちゃんと、挨拶ついでに短い立ち話をした。

目の前の公団に住むおばあちゃんは、一人暮らしだと言った。
まぁ歳も歳だから、ご主人が亡くなられているといっても、まったく自然だ。
「お寂しいでしょう。」などと言っていると、聞けばご主人が亡くなった年齢は24歳だという。
…時間軸を見失って、私は考え込んだ。するとおばあちゃんは、
「戦争でね、特攻でね。行く直前に結婚したの。」と。
ちょっと私は驚いた。
「え!?じゃあまさか、それからずっと一人暮らし?」
「おかげ様で、恩給で暮らさせて戴いております。」
と、私はおばあちゃんに恩給をあげたことは無いが、おばあちゃんは私に深々と頭を下げた。

「おじいさんも、生きていれば80近くになるのよ。」

…おばあちゃんは、確かに24歳の若さで逝ったご主人を「おじいさん」と呼んだ。
24歳の「おじいさん」に操を捧げたおばあちゃんは、心に住む「おじいさん」と共に歳を取ってきた。
きっと、自分が「おばあさん」と周囲に呼ばれるようになり、「だったら、あなたはおじいさんよ」ということなのだろう。
そして「おじいさん」はあの世から、きっとおばあちゃんを見守り続けていたに違いない。

短い立ち話で、私は心を洗われる思いだった。

(2006-3-24)

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2006-05-28

「ひとすぢに平和を」

「昭和の純愛」にまつわるエピソードと、ビミョーにシンクロする話が、新聞で紹介されていたので、ふと目が留まった。

戦後、BC級戦犯として巣鴨で処刑された、享年27歳の青年の『獄中日記』の話。(※記事
当時その青年に思いを寄せていた、現在75歳になる女性が、一昨年前、その青年の日記を遺族から譲り受けたという。
女性は戦後、別の男性と結婚し、子供にも恵まれたが、青年のことを「忘れなかった」という。

その日記の内容を、ちらと見ると…、この理知的で精悍で誠実で純粋な青年が、戦犯にならざるを得なかった、戦争の不条理さを改めて痛感させられる。
彼がもしも生きていたなら、社会に大きな貢献ができていたに違いない。
彼のような者の死、それはそれは、この上ない大きな大きな、「社会的損失」だ。

   ひとすぢに平和を祈りつゝ円寂の地へいましゆくなり

という辞世の歌を詠んだ、翌日、刑が執行されたという。
口先だけの「平和」ではない、この青年から放たれた「平和」の言霊は、汚れなく、尊い。
こんな好くできた青年を、75歳の女性が忘れられないのも当然だろう。

(2006-4-11)

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2006-06-29

美しい老婆に慄く日

ある時、上品なおばあさまに遭遇。
未亡人で、かなりのご高齢。

「私の主人は怒ったことの無い人でね。こんなに優しい人でいいのかしら、っていうぐらい。私、ホントに主人に感謝しているの。こんな人に出会えたなんて、私、なんて幸せなのかしら。…」

と、ご主人は何年も前に亡くなったが、このノロケよう。
この齢でこうもノロケられるとは、正真正銘、ぶち抜き一人勝ちの「勝ち組」とは、正にこの人。
素敵だなぁ、と思う反面、マユツバでもあり。
…これがひょっとすると、老婆の空想話かもしれん。
済んだことはいかようにでも作り変えられる。
もしもそうなら、このおばあさまは若い頃から、どこまでも「負けず嫌い」の、誰一人寄せ付けないゴボウ抜きの、たっかたかのプライドの持ち主だったかもしれん。

「まぁ、素敵。」
と、私は相槌を打ちつつも、疑心暗鬼にならざるを得ない。
「人の羨望を集めたい」━━。
それがこの方の、老いてなお美しい秘訣なのかもしれん。

(2006-6-28)

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2006-06-30

三島事件の歌

私は短歌や俳句の世界は、よく知らないが、講談社の『昭和萬葉集』という歌集が、すこぶる面白かった。
大勢の歌人の歌で、その時の歴史の心情が生々しく綴られている。
長い辛らつな文章よりも、ストレートに「効く」。
たとえば、昭和45年当時、世間を騒がせた「三島事件」が、様々に人の心を揺さぶったことなど。

 散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐


などと、当の三島由紀夫は、腹を掻っ切る前に辞世の句を詠んだ。
三島の死を悲しむ人もあるが、つらつら見るに、多くの大衆が呆れる姿が、ありありと目に浮かぶ。

 今日は明日に続かぬ今日のすさまじさ君が陶酔に何申すべき

 人並みのなやみを共になやまずて独り高ぶり腹かつきりぬ

 文士ひとりの切腹などにかかはりてもどかしきわがひと月は過ぐ


そうか、リアルに生々しいぞ。
あえて私流の口語でまとめる必要も無いけど、つまり、

 人騒がせも大概にしろよみっともない孤高気取りのナルシストめが(字余り)

ということらしい。
私はこの時、まだ生まれていなかったが、戦争体験の傷深い世代の見る目は、三島の“死の美学”の屍を、深くエグっていたのだな。

歌人
 「今日は明日に…」森本秀子(大正6~)
 「人並みのなやみを…」高橋英子(明治33~)
 「文士ひとりの…」田中順二(明治45~)

(2006-6-29)

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2006-08-25

星になる

実は、星占いが密かな私の趣味である。
私が糸川英夫の名を知ったのは、飛行機でもロケットでも小惑星でもなく、星占いからだった。
細密占星術の糸川英夫が、私の中で“小惑星イトカワ”と結びついたのは、探査機「はやぶさ」がイトカワ着陸に失敗したニュースの、ずっと後だった。

ところで。
私が選んだ星占いの教科書の著者は、石原源晃という、大戦中は海軍の科学者だった人。そして糸川英夫は、大戦中、戦闘機の開発に携わっていた。…なんでだろう、揃いも揃ってかつての軍事のブレーンたちが、星占いに興味を抱くのは。
石原源晃は「ホロスコープは海図と同じ」という理由。それはわかりやすい。
糸川英夫は…、と思って彼の伝記『やんちゃな独創性~糸川英夫伝』を読み始めたのだが、伝記には糸川の星占いに関する記述は、全く無かった。

星占いに関する記述は無いが、この糸川英夫のマルチ人間ぶりには驚いた。
飛行機を作る。ロケットを作る。その合間にバイオリンと脳波計を作る。60歳を過ぎてバレエをはじめる。…
こんなマルチ人間ならば、その合間に星占いを研究していても、当然おかしくはないと、私は勝手に納得するのだった。

航空機、ロケット、音響学、医学…。
糸川英夫はほぼ十年おきに研究テーマを変えていたという。
「5年で研究(リサーチ)、5年で生活(ライフ)、それが過ぎれば次の発見に向かう喜びに浸りたい…。」
というのが、その理由だそうだ。
人生一生懸命にやったことは、必ずどこかで意外な効果を上げる舞台が来る。
何でも、結果を出すには集中力が必要だけど、興味のある事柄に色々と手を出してみることは、マルチな才能を伸ばす上で不可欠だ。

しかし、だからって60歳でバレエはやり過ぎですよ。
色々と名言も迷言も残しておられる糸川英夫だが、それでも、私が個人的に伝記の中で、一番感動したのは、

「ホルストの『惑星』の木星役になって、みんなと手をつないで踊った時、自分が本当に星になったような気がしました。」

と、お遊戯を心から楽しむ幼児のような、糸川英夫の言葉だった。

そう、糸川先生は、本当にお星様になったのだ。
晩年、イスラエルと友好を深めた糸川英夫の遺骨は、今もネゲブ砂漠に埋まっているとか。

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2006-09-24

あのへんの時代と銀色の交差点

もう3年も前、デイサービスのお手伝いに行った時のこと。
そこに集まるお年寄り達と、大きな声で歌を歌っていて思った。…この先、デイで歌う歌も、尋常小学校唱歌なんぞでは済まなくなるだろう。
思えば、今だってデイに集まるお年寄り達の年齢の幅は、親と子ほども違うこともある。
「オレは演歌が好きなんだけど、しょうがねぇなぁ。」
「浪曲なら任せてくれと思うけど、ここは仕方ない。」
「李香蘭が好きだったなぁ…。」
他、軍歌ばかりはやたら大きな声で元気に歌える方。…などと、いうところを一緒絡げに尋常小学校唱歌なんだな、多分。
とりあえず、人といてワイワイできる雰囲気を楽しめる人は、何だっていいや、と思うのかもしれない。
不幸にも、結構な若さでデイの世話にならなければならなかった、まだ60歳にもなっていない方が、気の毒に、隅っこのベンチで、「オレはもうダメだ~」と仰っていた姿は、先々放置できるものではなかろう。

私はMTV世代なので、デイを利用する年になれば、80年代洋楽ははずして欲しくないと思う。
同様にそれぞれ、アニソン、アイドル、HIPHOP…等々、戦後生まれの人々の嗜好の幅は広い。
その幅の広さは、既に戦後の「団塊」からはじまっている。

どうする?どうなる?デイサービス。
私が3年前に見たデイの様相も、多少は時代のニーズに合わせて、柔軟に変わってきていることを祈る。
いや、将来、「デイサービス」という言葉すら様変わりするなり、死語になるなり、時代は移ろっていくのかもしれない。…

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2007-06-16

私の立場のフツーの感性でもって感じる事柄

ここまでの私。
転職回数がべらぼうに多いし、国民年金と厚生年金と、7回切り替えしてるし。

三年前に社会保険庁に出向いて、支払った年金の額を調べて印刷した紙が手元にあるけど、…見方がよくわからん。…もしかすると、平成13年より前の厚生年金が、消えているということだろうか?

この騒動も、どうせマスコミの操作で鎮まるだろうから、その頃に窓口に確認しに行くとする。…それにしても、確認にわざわざこっちから出向かにゃならんとは、どういうこと?

“年金あんしんダイヤル”の、電話口の向こうに居るのは、どうせ私と同じような立場の派遣社員だし。
今確認に窓口に行くと、絶対どうせまた、雑な仕事でイラつくだろうし。
それでこっちがキレたところで、別に悪いわけでもない人々に、“かたちだけ”謝られるだけだろうし。
雑な仕事を積み重ねた、張本人の、社会保険庁の職員らは、みんな定年退職して、たんまり年金貰いまくって、天下ってみたり、楽しい老後を満喫して、自分らは関係無いってシラを切るだろうし。
元社会保険庁の職員だった老人どもを、一人残らず引っ張り出して、袋叩きにしないと、ダメだ。あいつら、年金貰っちゃダメだ。

なんか、暴動起こすんだったら、私も石持ってくけど。

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それと

将来、年金を貰えないのに、「慈善」と割り切って、真面目に年金を払ってる、私は、思う。

世帯で年金を300万円近く貰ってる年寄りが、「まだ仕事する!」とか、「年金暮らしなのに税金納めないとだめなのか!」とか抜かしやがるし。
業突張りめ。
それだけ貰ってるんだから、税金ぐらい払えるだろ。
その上でまだ仕事するんだったら、同時に年金貰うのやめてくれないかな。
傍目に、超ムカつくんですけど。
このような年寄りに、年寄りだからと敬意をはらう必要は、無い、と私は思う。

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2007-09-07

文革の時はどうしてらしたんですか?

11年前、上海で出会った台湾出身の古美術商の老人は、全く違和感の無い日本語を話した。
それから7年後、中国の別の土地で出会った土産物屋の老人も、思わず「日本の方ですか?」とこちらが訊いてしまうような日本語を話した。

上記の二人の老人の日本語は、「てにをは」の正しい、いわゆる中国語訛りの無い、外国人とは思えないような、完璧な日本語だった。
二人とも、日中戦争の頃に日本に留学していたと言った。
先の古美術商の老人は帝大、後の土産物屋の老人は明治大学だと言った。

いわゆる、ブルジョアの知識階級の人たちだ。

怖いもの知らずというか、バカというか。
私は当時、どちらの老人にも、同じ質問をした。
「文革の時はどうしてらしたんですか?」

二人とも、ハハハ…と笑った、だけだった。
もっと正確に言うと、後の土産物屋の老人は、笑った後に、こう言った。

「まぁ、命だけは、助かった、っていうことですよ。」

二人とも、仙人みたいな、超老人だった。

先日、NHKのBS特集『民衆が語る中国・激動の時代~文化大革命を乗り越えて』の4回シリーズを観ながら、上の二人の老人のことを思い出していた。
あの番組の中で一番驚いたのは、反革命分子として散々虐められた人らが、それでも尚共産党を認めているというところか。
…色んなことを考えさせられた。
本物の自由と解放に至るために、人は一体、どこを目指せばいいのか…、とか。

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